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むろとしきょういくいいんかい

室戸市教育委員会

Muroto City Board of Education

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室戸の地層

 2001年1月13日市教研理科部会の巡検にもとずきました。講師は川添 晃先生でした。

 室戸半島には,四万十帯と呼ばれる堆積層主体の地層が露出しています。この四万十帯は帯状に九州から関東まで太平洋岸に分布しています。海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む(毎年4cmと言われる)ときに、プレートの上に乗っていた海底の岩石がはがれて大陸プレートに順番にくっついていった「付加体」の集まりだと考えられています。

徳島県海府郡宍喰町 竹が島~水床(奈判利層のタービダイト層・乱堆積のリップルマーク)
徳島県海府郡宍喰町
徳島県海府郡宍喰町
宍喰町
宍喰町
水床荘から北へ1Kmくらいの奈半利層と呼ばれる地層です
宍喰町
宍喰町
乱泥流の痕跡のリップルマーク

 R55を北上し甲浦北端のトンネル手前を右(海側)へ入ると「国民宿舎水床壮」の看板が眼に入ります。海岸へ出てすぐ正面の島が竹ガ島で、干潮のときはこの入り江に広くきれいなさざなみのあとが砂の上に広がります。
 国民宿舎水床荘を過ぎてしばらく進むと、大きなカーブに「漣痕化石」の標識があります。漣(さざなみ)は海岸や湖岸だが、ここの地層は海底の堆積岩なので漣の痕跡ではないようです。地質時代の海底での堆積の際に、乱泥流の堆積で作られた漣様の文様(リップルマーク)だそうです。英語の説明板もありますから、英語の先生もどうぞおいでください。

*タービダイト
 室戸の堆積岩は海洋の堆積岩(タービダイト)と、タービダイトとは別に海溝付近でできたといわれる変動の激しいズタズタに切れた堆積岩(佐喜浜や岬付近)と部分的に見られるマグマ・マントル起源の岩石で出来ています。室戸沖でできたこれらの岩石が海洋プレートが潜り込むときにはがされて、順番にくっついていって室戸半島ができました。
 ですから室戸での堆積岩の授業はプレートテクトニクスの学習が欠かせません。「付加体」という単語を用いなくても、南海地震にたいする安全対策も含めて室戸の地盤はこうしてできたと教えたいところです。

 水床荘から北へ1Kmくらいの奈半利層と呼ばれる地層です。整然としたタービダイト性の砂岩泥岩互層で層理はまっすぐきれいです。この地層の西は奈半利川までつながっているそうです。
 それでは、この地層の上(侵食を受けてなくなった部分)はどこへつながっていたのでしょうか。どこかに相手がいないとこまりますね。相手をさがすのも地質学の仕事でしょうね。

室戸市鹿岡鼻(夫婦岩)(砂岩の侵食痕{蜂の巣状構造})
鹿岡鼻
鹿岡鼻
鹿岡鼻(蜂の巣状)
鹿岡鼻(蜂の巣状)
鹿岡鼻(蜂の巣状)
鹿岡鼻(蜂の巣状)

 砂岩の表面の硬さによって侵食の度合いが違うので、蜂の巣構造ができます。柔らかい部分は大きく侵食され、硬い部分は侵食に強い。山や川や岬や湾などの地表でもこの夫婦岩のように侵食の度合いの違いが地形を決めることが多いでしょうね。もちろん褶曲・断層などは別の話しですけれど。
 実際の鹿岡鼻が鼻になっているのは夫婦岩が海食の防波堤になっているかも。でも実際には海底地形や潮流のデータなども揃わないと結論は出ないでしょうね。

室戸市日沖と食堂東(枕状溶岩{玄武岩}・火砕岩)
日沖と食堂東
日沖と食堂東
日沖と食堂東(枕状溶岩)
日沖と食堂東(枕状溶岩)
日沖と食堂東(溶岩(玄武岩))
日沖と食堂東(溶岩(玄武岩))
日沖と食堂東
日沖と食堂東
丸山東の食堂の東側の火砕岩
日沖と食堂東
日沖と食堂東
礫の直径が揃っていませんし、礫の向きがてんでばらばらです

 日沖バス停から日沖漁港の小さな突堤に降りると、正面左の一番おおきな岩も枕状溶岩のかたまりです。左の突堤の外側にも溶岩(玄武岩)がたくさん見られます。日沖の枕状溶岩は塩基性が強い玄武岩です。

 気孔の大きさから水深200~300mと考えられ、また四万十帯の他地区の火成岩の多くが付加体とされているなかで、日沖の火成岩は付加体でなく、現地の火山島か海底火山起源と考えられています。しかしこの溶岩体は根がないようです。このあたりの海食崖の上のほうにも溶岩があるそうで、そこから転落してきたものと考えられています。

 丸山地区東の食堂のすぐ東側の、不動明王の幟が立つ大きな岩があります。この岩は火山起源の火砕岩です。堆積岩の礫岩ではありません。火砕岩は教科書にも登場していません。

 堆積岩の礫岩の場合は、礫が水中を運ばれる間に侵食を受けて角が丸くなったなめらかな礫で出来ています。礫が堆積するのは水の流れがあるところですから、礫は上流や潮流に向かってきれいに並びますし、また流れが早ければ大きな礫が残り、流れがゆるくなれば小さな礫も安定するなど、礫の並びかたや礫の直径に一定の方向性・規則性を持っています。

 火砕岩では、火山の噴火で山腹または山全体が吹き飛ばされ、飛び散ったり転がった岩の破片が火山や火山の周辺に集積します。その後の続成作用でこのような角がある礫でできた岩になりました。火砕岩の礫は角が侵食を受けた痕跡がなく吹き飛ばされたときのまま角ばっており、並びかたや大きさもバラバラになっています。

●正面左の大きな岩体も枕状溶岩です。下部に枕状の模様がはっきり観察できます。枕状のふくらんだ方が下部になりますが、上から落ちてきた溶岩なので・・・。

●左の国道下の溶岩(玄武岩)。表面は黒くなっていますが内部は緑色が強い。

●丸山東の食堂の東側の火砕岩。祠が祀られています。火山噴火で壊され吹き飛ばされた石が積み重なってできました。角張った礫が集まっています。このすぐ前の海岸にも角礫の集塊岩が多く見られます。これらの集塊岩は、すぐ近くで火山噴火があったことの証明になります。

●礫の直径が揃っていませんし、礫の向きがてんでばらばらです。ひとつひとつの礫の角も壊されたときのままとんがっています。

室戸市室戸岬(ビシャゴ岩周辺と月見浜 ハンレイ岩・ホルンフェルス・ヤッコカンザシ・スランプ構造)
ビシャゴ岩周辺と月見浜
ビシャゴ岩周辺と月見浜
岩礁のうち黒っぽく見えるのが斑レイ岩、手前で白っぽいのが砂岩です。
岩礁のうち黒っぽく見えるのが斑レイ岩、手前で白っぽいのが砂岩です。
南海地震では室戸岬の隆起は1.2mでしたから地震の前はここの砂利の広場まで波が打ち寄せたのでしょう。岩礁のうち黒っぽく見えるのが斑レイ岩、手前で白っぽいのが砂岩です。
ヤッコカンザシの生痕
ヤッコカンザシの生痕
ヤッコカンザシの生痕。丸い小さい穴がヤッコカンザシが住んでいた穴です。カルシウムを多く含むので、セメントのように見えます。
ヤッコカンザシの生痕
ヤッコカンザシの生痕
中央の丸い小さな穴(四個くらい並んだ白い円形、他の穴もそうです)がヤッコカンザシが住んでいた穴。分泌されたカルシウム成分に周辺の貝殻が取り込まれているのが見えます。ヤッコカンザシは汀線の岩礁に生息するので、その生息痕によってそのヤッコカンザシが生息していたころの海水準を推測することが出来ます。
左がハンレイ岩 右が砂岩
左がハンレイ岩 右が砂岩
左がハンレイ岩 右が砂岩。砂岩層にマグマが貫入した境界線。砂岩層にマグマが貫入したときのマグマの熱で砂岩はホルンフェルス化(熱変成)しています。
ビシャゴ岩
ビシャゴ岩
ビシャゴ岩はハンレイ岩体。左から順番に細粒~粗粒に移り変わる。
ビシャゴ岩
ビシャゴ岩
ビシャゴ岩のアップ。この岩にまつわる伝説については室戸市史などを参照ください。当時の女性は多分引き潮の時を選んでまたは船でビシャゴに渡ったのではないか、など考えながら参照するといいかも。
月見浜のスランプ
月見浜のスランプ
月見浜のスランプ。周辺の地層はすべて複雑なスランプ構造をしている。
礫岩層
礫岩層
室戸では珍しい礫岩層。月見浜西部の岩礁の中央上部の黒っぽくざらざらして見える部分。
ハンレイ岩
ハンレイ岩
室戸の粗粒ハンレイ岩は見事なことで知られています。黒い模様(有色鉱物)は輝石類が主で、白い部分は長石です。中学教科書のハンレイ岩とは様子が違いますが成分比は立派なハンレイ岩です。ただ、黒御影石と違って庭石や墓石などに使用した例は聞きません。慎太郎の銅像のまわりには使用しています。
岬から西の風景
岬から西の風景
岬から西の風景は世界になだたる見事な段丘地形。行当岬が見えます。
岬の東
岬の東
岬の東は急峻な海食崖の地形。スカイラインの展望台から見る景色は西と東で対称的です。

 室戸岬は侵食されにくい硬質の斑レイ岩の貫入岩体があることも岬としての地形の要因として考えられています。この斑レイ岩の長石部分の放射性年代測定では1800万年前(第三紀中新世前期)という結果が得られています。周囲の砂岩はこの斑レイ岩の熱でホルンフェルス化(熱変成)を受けています。斑レイ岩の岩体はビシャゴ岩-室戸岬灯台-慎太郎銅像-おおぐいばえの範囲です。付加体とされています。

 月見浜は大小のスランプがたくさんあり、ちぎれたり上下反転したりで地層がズタズタになっています。宍喰のタービダイトとは対照的です。このあたりでは珍しい礫岩もみられます。

 室戸の海岸段丘は新生代第四紀の氷河期~間氷期の繰り返しと、地殻の変動がマッチして形成されたと言われています。高位段丘(300~190m)・中位段丘(190~50m)・低位段丘(50m~)と大きく分類されています。詳しい年代はわかっていませんが、最終氷期10万年前ころにできたといわれています。空海の時代は御蔵洞(みくろど)の前まで海がきていたようです。

 環形動物のヤッコカンザシの個体は周囲にカルシウム主体のすみかをつくります。汀線を生活域にしているので、ヤッコカンザシの生活の跡から過去の海水準を知ることが出来ます。空海の「行水の池」の上にも大きなヤッコカンザシの生痕があります。

 現生のナマのヤッコカンザシが岩礁のカルシウム製住宅で暮らしています。次の南海地震が起こったときは海岸に出てヤッコカンザシを探してみましょう(津波がすんでから)。

室戸市行当岬周辺(スランプ構造・層理・リップルマーク・生痕化石)
行当岬周辺
行当岬周辺
生痕化石(カニ類の匍行あと)
生痕化石(カニ類の匍行あと)
生痕化石(カニ類の匍行あと)
生痕化石(カニ類の匍行あと)
タービダイトの層理とほぼ直角に入り込んでいる砂岩
タービダイトの層理とほぼ直角に入り込んでいる砂岩

 過去の海洋底の活発な活動を表すきれいな?スランプ構造が観察できる岩礁があります。

 また、海に近いスランプ構造が少ない岩礁には大きなカニ類の足跡の化石もあります。北へ回り込むときれいな層理を持った砂岩泥岩互層があり、砂岩の上面にははっきりしたリップルマークが見られる地点もあります。

 地質時代の地震でできた砂の噴出のあとも観察できます。

 海底の泥のなかや泥の表面で生活していた地質時代の生物の痕跡が見られます。太平洋プレートの動きにともなう地震などで発生した海底斜面の乱泥流が巣穴や這い跡にかぶさり流れ込んで砂岩層をつくり、生物の生活の跡がこの砂岩層の下面に残されました。

 化石を持ち帰るかたもおいでますので、採集しやすい化石からなくなっていくようです。今回はゴカイ類の巣穴痕は観察していませんが、この周辺にあります。

*スランプ構造
 海溝付近の斜面に堆積したまだ柔らかい土砂が海底をすべり落ちるときにまくれたり切れたりした様子を残します。すべり落ちてきた地層なので、周囲の岩石との関連はありません。また教科書の「褶曲」とは成因的にもまったく関係がありません。

●海底に堆積したまだ柔らかい(まだ岩になっていない)地層が地震などで崩壊して海底を滑り落ちたときに、たいらだった層が写真のように折れ曲がってしまい岩石になりました。スランプ構造と呼ばれます。室戸沖の海洋底のはげしい変動をあらわしています、現在も続いているのですけれど。地殻・地層が圧力を受けて曲がる教科書の「褶曲」とは無関係な別の成因ですから「褶曲」とは言いません。

●タービダイト起源の整然とした砂岩泥岩互層です。砂岩は泥岩よりも侵食を受けにくいので砂岩層が出っ張っています。このあたりではスランプ構造がほとんどないきれいな層理が観察できます。

●地震のときに地層の弱い部分に、周辺の地層から吸い上げられた砂が入りました。地質時代の地震活動の記録です。タービダイトの層理とほぼ直角に入り込んでいる砂岩がそうです。あちこちにあります。

●宍喰の天然記念物よりもみごとなリップルマークが室戸の行当岬にあります。

室戸市西山台地平山地区(不整合)
西山台地平山地区
西山台地平山地区
四万十帯の基盤と堆積層
四万十帯の基盤と堆積層
四万十帯の基盤と堆積層
四万十帯の基盤と堆積層

 レストランオハラの東の道(2つありますが小さな谷の東側の道)をクルマで10分くらい登ると、左手に赤土がむきだしになっているところがあります。基盤と堆積層との不整合です。上が堆積層、下が四万十層の基盤の砂岩です。基盤と上の赤土とは連続性が見られません。

 赤土に入っている礫は段丘ができる以前から(海岸の浜だったときから)そこにあるのでしょう。動けませんから。割ってみると表面から数mmが変色して(いわゆる”くさって”)います。段丘礫の特徴です。

室戸市羽根 登地区(登層摸式地と羽根中学校)
羽根 登地区
羽根 登地区
有孔虫の産地
有孔虫の産地
セメント会社の裏山は有孔虫の産地。会社は有孔虫を材料にして良質のセメントを作っている。
羽根中敷地の丸い礫
羽根中敷地の丸い礫
羽根中敷地の丸い礫は、多くが10万年以上前に海岸だったころの礫です。

 登地区のあたご山は「登層」と呼ばれる地層の模式地になっている。ここと同じ地層はほかには見られず、登独特なので登層と呼ばれている。貝類・有孔虫類・放散虫類・介形類・珪藻類・ナンノ化石などが豊富だそうです。300万年前と言われています。

 むかしむかし羽根の人が阿波の人に石灰の作り方を教わったという話しが伝わっていて、いまも有孔虫の殻を焼くセメント会社の煙が立ち登っています。