室戸岬
最御崎寺(東寺)
大同2年、唐から帰った大師は、この地を訪れて嵯峨天皇の勅願により伽藍を建立し、虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし室戸山、最御崎寺(ほつみさきじ)と号し、第24番の霊場に定められましたその後寺運は大いに栄え、嵯峨天皇を始め歴代天皇のご信仰も厚く、足利時代には土佐の安国寺に定められ、以後各武将の寄進により七堂伽藍も整う大寺院になりました。
中岡慎太郎像
津呂王子宮
室戸灯台
御厨人窟
空海が室戸崎に来て苦行修行を積んだ地。上の写真の左が御厨人窟で、右が神明窟である。御厨人窟には毒蛇が住んでおり、往来の人畜に危害を加えるので空海が加持力をもってこれを退出させたという。二つの窟を通称「みくろ洞」と呼んでいる。
目洗いの池
行水の池
ビシャゴ岩
津呂の町におさごという漁師がいました。おさごは、このあたり一体で、比べもののない美人だったそうですその美しさはめっそうな評判になり、毎日あっちの村、こっちの村から若衆たちがおしかけてきたそうな。
おさご見物にあんまりたくさんの人たちがやってくるので、おさごは何をするにしても人の目を意識せずにはおられなかった。それでとうとう身も心も疲れ果ててしまった。(こんなに私がつらい目にあうのもみんな美しく生まれたせいだから、そうだ汚くしよう)
こう思いついたおさごは、顔になべずみをぬり、わざと縞目もわからぬようなぼろの着物を身にまとうた。でも、こうしたおさごの苦心の変身も、おさごの美しさに魅せられた若衆達の心をそらす事はできなかった。あまりのうとましさに、おさごは、ある夜こっそり家をぬけだし岬へむかった。ここにはたくさんの大きな岩が海に向かってそそりたっているが、その一つ「びしゃご礁にあがると「これからは、私のように、つらい娘ができませんように」こう祈ると海の中に身をなげて死んだということである。(室戸市史 下巻より)
水掛地蔵
杉尾神社
椎名の捕鯨山見跡
日沖の大礁
滋賀丸遭難碑(日沖)
滋賀丸撃沈生々しく(平成2年 高知新聞から)
「たまたま見つけた船。轟沈だった」「軍隊を乗せた船だと思った」「室戸沖に米潜水艦が出没していたのは日本軍は知っていたはず」、本紙の電話取材に対して元艦長は淡々と滋賀丸撃沈について語った。「滋賀丸」を沈めた時、同氏は31才の青年艦長。当時、戦果は強く焼き付いたに違いない。
明快な記憶、しっかりとした口調。ギンバーさんは、被害者側からの突然の取材に戸惑いながらの、誠意をもって答えてくれた。
1944年(昭和19年)5月30日に沈めた船のことを覚えていますか。
「覚えている。私は豊後水道で作戦行動をしていて、その日は紀伊水道に移動中だった。午前八時半、た またま一隻の船を見つけた。援護船はついていなかった。上空を、水上飛行機が飛んでいたように思う」
たまたま見つけた? 「そうだ。たまたまだ」
民間人を乗せた定期船ということは知っていたか。 「まったく知らなかった。定期航路があるという 情報もなかった。可能性として、軍隊を乗せていると思って撃った」
その船は「滋賀丸」と言うのだが、それを狙っていたわけではないわけだ。
「そう。偶然そこに行ったら船が見えた。だから攻撃した。」
室戸沖には何回来たのか。
「1942年、トリガー号に乗り込んでいるときに二回パトロールした」
42年頃にそんな近くまで来れたのか。
「来れた。簡単だった」
日本軍はそのことを知っていたのだろうか。
「もちろん、知っていたと思う」
撃沈の状況を聞かせてほしい。
「午前八時半に当直が発見し、九時前に千五百メートルまで接近した。敵船(滋賀丸)の向こうに陸地が 見えた。」
陸地までの距離は?
「約3.6キロほどだったと思う」
その位置から魚雷を?
八秒間隔で三発発射した。自分の感じでは一発目が不発か途中で暴発し、二発目が命中、三発目は陸地に あたったように思う。
ずっと見ていたか。
「そうだ。沈没まで、潜望鏡で私が確認した。船体中央に命中し、前の方から先に沈んだ。沈没まで5分 もかからなかった。まさに轟沈だ。」
滋賀丸は逃げようとしていたか。
「いや。回避行動をとる間もなく命中した」
沈没後は?
「すぐ逃げた。南西へ逃げて深く潜った。反撃はなかった。
滋賀丸にのっていた多くの民間人が死んだが。・・・
「民間人とは全然知らなかった。こいうことは二度と起こってはいけない。二度と繰り返してはいけない もう二度と不幸な時代が来ないように、私は祈る。」
平成2年8月13日の高知新聞より
滋賀丸を撃沈した米潜水艦は撃沈の日、作戦行動で豊後水道から紀伊水道に移動する途中であった。そこで滋賀丸に偶然、滋賀丸を発見、攻撃態勢に入った。米潜水鑑は半時間かけて滋賀丸に接近。約千四百メートルの距離から三発、魚雷を発射、そのうち一発が命中。滋賀丸は逃げる間もなく轟沈したが反撃はなかった。米潜水艦の船長によれば「軍隊をのせた船とばかりに思っていた」ということである。
日沖の港
善導寺のソテツ
夫婦岩
海中から屹立する二つの岩柱、その景観は人目をひかずにはおかない。海底からはかって何メートルあるかはっきりしないが夫婦岩としては全国でも最大級のものである。岩質は砂岩で多年の風蝕作用によって蜂の巣構造の風紋が発達している。
野中兼山の碑(津呂)
風力発電所
風速4・5m/秒から発電を行うことができ、風速の増加に伴って、最大300キロワットまで発電し、年間45万kwH(一般家庭約160戸分)の電気を発電することが出来ます。室戸岬では、台風による強い風が吹くので風車はこれに耐えるように設計されています。風力発電は季節や気象による風速の変化により発電能力が左右されるほか経済性や信頼性などの面で、本格的な実用化までには、まだ解決すべき課題も残されています。ただ、風力発電などの新エネルギーはクリーンで地球にやさしく、また資源の乏しいわが国にとっては将来の貴重なエネルギー資源の一つであることから実用化のための研究開発に積極的に取り組んでいます。(四国電力)